Last Updated 2007/09/11
エッセイ 2007
24時間テレビの意義
作成 : 2007/09/11

あぁダメだ.こういうドラマ見ると感情移入してしまう.
珍しく24時間テレビを見てます.別に欽ちゃんが見たいわけじゃないし,昔ほどメッセージ性があると思えないけど,なぜか今24時間テレビ見てる.
そしてタッキーが出てるドラマ見てるけど,同じぐらいの子供がいるとどうしても「うちの子がそうだったら...」と想像してしまう.
そうなるともうダメですね.
あっしはいったい子供になにが出来たのか,なにを伝えられたのか,子供が伝えたい事をちゃんと受け取ってあげたかとか,いろいろ考えてしまう.

あっしは募金したりします.街角に立ってる募金はしませんが,ドラえもん募金とかします.
ちょっとひねくれてる性格からか,街角に立ってる募金にはそれほど意義を感じなかったりします.あれだけの人間が1日働いて稼いだお金をそのまま寄付したらすごい金額になるんじゃないか,あぁやって立っているよりも多くの金額が寄付出来るんじゃないかと考えます.
正直なところ寄付される側にしてみれば愛よりも金です.金があってこその愛でしょう.(そう考えます)
だからこそ,街角に立つよりも....という思いが大きいですね.
でも24時間テレビはいいと思います.あれだけのイベントなので集まる額も桁違い.あれだけ集まるからこそのイベントですからね.
分かりますよ,街角に立ち募金の大切さ,その気持ちの大切さを伝えることも大事だということを.

あっしは稼いだ額をそのまま募金する勇気はありません.あっしの生活,あっしの家族の生活が大事です.
でも多少なら,ちょっとの額なら貢献できます.だからこそドラえもん募金やらそういうのに参加します.
この社会に生きているからこそ,多少なりとも社会に貢献したいと最近思います.ホントに微力なんですけどね.
偽善かもしれないけども,そう思うことになんら疑問は持ちません.

せっかくの24時間テレビ.
子供らを連れて募金会場に行ってみようかと思います.多少のお金ですが,その意義やその意味を子供らに伝えながら.
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